チョッキを縫ってくれた、父の話も書いておこう。
私の父親は、洋服を縫う職人だった。
仕立屋というやつだ。
腕は良かったらしい。
しかし、商売の方はそうでもなかったようだ。
一時は5~6人、人を使っていたが、小さな商店で終わった。
それ以上商売を大きくするには、人が良すぎたようだった。
私が結婚する頃は店を畳んで、馴染みの客相手にだけ作っていた。
私は末の子どもだったからか、一番かわいがってもらった記憶がある。
結婚する時に、商売道具だったミシンをもらった。
戦前のシンガーミシンだ。
シンガポールから分捕ってきたから、シンガーミシンだと自慢していた。
その後、何台か電動ミシンを買ったりしたが、どれもだめだった。
結局、何度か修理をしつつ、未だにこれを使っている。
ちなみに、シンガー社では修理不能だといわれた。
群馬の方で、修理してくれる人がいる。
ジーンズの裾上げで、6枚重ねくらいになるが、当たり前のように縫ってくれる。
連れ合いはこれを初めて使ったとき、ちゃんと真っ直ぐ縫えることに感激していた。
父が亡くなってずいぶんになる。
お金は残さなかったが、色々なものを受け継いでいる。
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