軽井沢ゆかりの文学は多い。
今日は「立原道造」の文学碑を見てきた。
「村はづれの歌」の碑があった。
「右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く中仙道」
どこかで聞いた文句だと思ったら「狩人」だ。
「コスモス街道」
こちらは「右は越後へ行く北の道
左は木曽まで行く中仙道」
おそらく曲との関係だろうけれど、微妙に違う。
今は季節が違うからコスモスは咲いていない。
もっとも、コスモスは立原道造の時代には無かったようだ。
「村はづれの歌」には「みやこぐさ」が出てくる。
実をいえば、彼のこともこの歌のことも良く知らなかった。
早速ググッテみた。
彼のイメージなら「風信子・ヒヤシンス」が似合いそうだった。
もっとも「コスモス街道」は佐久市。
「村はづれの歌」は軽井沢市追分だ。
歌碑は追分公民館の外にあった。
彼のイメージに似て、密やかにあった。
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