2018年1月14日日曜日

鹿の角笛

隣町で鹿角のアクセサリー作りと鹿肉の試食会があった。
試食会の魅力に釣られて参加してきました。

最初はアクセサリー作り。
基本的には金工用のノコギリと、木工用のヤスリで作る。

穴開も普通の電動ドリルでOK。
ノコギリの手応えなどは、木よりは少し粘りけを感じた。

右のような先端は作りやすいが、一本で4つくらいしか獲れない。
途中の幹の部分も使ってくださいと講師の方のご注意。

ごめんなさい。
ムダ使いしてしまいました。

下のは笛に作ってみました。
切り込みを入れたところに、8ミリの穴を開けてもらいました。

帰ってきて手持ちの丸棒を差し込んだところぴったりでした。
少しかすれたピーという音がします。

鹿が聞いたら逃げ出すでしょうけど。
予想していたより簡単で。楽しい加工でした。

試食もロースト、シチュウ、ジャーキィと十分な昼ご飯になりました。
これでビールがあったら、隣町に居着いてしまうところでした。

2018年1月4日木曜日

馬齢70

皆様あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

実は私2月生です。
69才になります。

朋友は続々70の大台になるわけです。
いわゆる「古希」という話が聞こえてきます。
ただ、少々気になり調べてみました。

何がというと米寿、傘寿、白寿というのは漢字を分解しての祝い事です。
その時のその地方の年の数え方で数えればいいと思うのです。

「古希」というのは少々違います。
ウィキペディアにもこう在るごとく【の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する】のです。

そこで唐の時代の年齢の数え方と今の日本の年齢の数え方が同じであろうかというのが気になりました。
私の親は年を数えるのに「数え年で幾つ、満年齢で幾つ」ということを言っていたのを覚えています。
1~2才違うのです。

調べると、唐の時代の中国でも「数え」で年齢を数えていました。
「数え」では生まれたときが1才です。

その後正月を迎えるたびに一つずつ年齢を重ねてゆきます。
つまり私はこの正月に杜甫いうところの古希に当たるわけです。

もちろん「90歳 何がめでたい」という方もいらっしゃる現代の日本のことですから、70歳は希でも誉れでもなくなりました。
まして浦河に好んで住むくらいですから、馬齢を重ねてきたといえます。

 コキコキと 肩が鳴るなる 斧始め   東行
                  よき