2014年2月6日木曜日

「博士の愛した数式」

小川洋子の小説で、映画化もされたくさんの賞も受けた。
私の思っていた内容とはずいぶん違った。

はじめ、娘から「密やかな結晶」を薦められ読んでみた。
これは賞など受けていない、密やかな作品といえる。

一方、好きな人も多いらしい。
少なくとも、文庫化される程度には読む人がいるというわけだ。

さて「博士の・・・」方はというともう少し明るくて、救いもある。
だから一般受けするのかもしれない。

ある解説者によると、彼女の小説の特徴は「消滅」だとか。
博士から消滅したのは「記憶」だ。

交通事故に合ってから、それ以前の記憶と直近80分の記憶しかもてない。
事故以後と、現在から80分以前までの記憶がない。

事故は固定された過去の時点だが、80分前は時計が進むたびに同じように進む。
時々刻々と記憶は消滅してゆく。

これ以上の内容は直接お読みいただきたい。
気になったのは、数学の内容だ。

博士はもちろん数学の専門家として博士号をとった。
その専門分野ではかなり優秀であったという設定になっている。

その博士が「0」について言及する場面がある。
もちろん「オー」ではない「ゼロ」についてだ。

「インド人が発見した偉大なる業績だ」という。
だが、素人の私が読むようなインド数学の歴史書にもそうではないと書いてある。

「0」の概念はもっと西のほうで確立され、その人々がインドに持ち込んだ。
その人たちは同時にカースト制度も始めて、元インド人との混血を嫌った。

どうも仏教がインドには定着せず、その周辺で支持された原因にもなっているのではないか。
仏教は階級差別をしない。

仏教の始祖釈迦は、最上位のバラモンではなくクシャトリアの出だったと思う。
大きな人類の歴史がここには在る気がして、個人的には興味がある。

西洋文明が支配している三千年規模ではなく、五千年規模に及ぶ人類の歴史の謎だ。
あるいは、小川洋子氏が熱烈な阪神ファンであったのが間違いの元だという気もする。

巨人ファンか、ホークスファンであったならよかったのにと思う。

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